2018年3月3日です
「富山の置き薬」
世界中で日本にしかない「家庭常備薬システム」
世界では医薬品はその度、その都度医師や薬剤師から
処方してもらわなければなりません。
しかし日本には予めお家に無料で「置き薬」を置く事ができ
家族や自身が調子が悪ければ、自分の判断で医薬品を
使用することが出来ます。
これは軽度な病気や症状をいち早く治療することが出来
大変便利なシステムです。
さてこの「置き薬」どのように日本に誕生したのでしょうか?
時は江戸時代、元禄3年(1690年)江戸城において、
「富山のくすり」を一躍有名にする事件がおきたのです。
藩主・秋田河内守が腹痛を起こしたとき、富山の藩主正甫公が、
富山のくすり「反魂丹」を与えたところ、みるみる痛みがおさまりました。
この光景を見た各国(現在の各県)の藩主たちは、
その薬に驚き、わが国にも富山の薬「反魂丹」を
売り広めてほしいと正甫公に頼んだのです。
この事件が「置き薬」(配置販売業)の発祥とされています。
正甫公は富山の薬種商にくすりを調製させ、
八重崎屋源六に依頼して諸国を行商させました。
源六は、「用を先に利を後にせよ」という正甫公の精神に従い、
良家の子弟の中から身体強健、品行方正な者を選び、
各地の大庄屋を巡って、すぐに販売するのではなく
「置き薬」をさせました。
そして、毎年定期的に巡回して未使用の残品を引き取り、
新品と置き換え、服用した薬に対してのみ謝礼金を
受け取ることにしました。
これが320年以上変わらず続いている富山売薬の伝統的なやり方です。
この商法は先に利用してもらい、後で利益をいただくという意味で
「先用後利」と呼ばれるようになりました。
利用者にとっても各種の薬をいつも手元に置いておける安心感、
そして使った分だけ支払えばよく、こちらから出向くめんどうもない、
と便利で画期的な販売方法でした。
こうして江戸時代から日本国中に広まった置き薬は
今でも日本の家庭の片隅で活躍しています。
置き薬のフカイは、このような素晴らしいお客様のための
「富山の置き薬」を、ずっとずっと次世代にも残していきたいと
考えています。
そんな中、江戸時代の置き薬の行商人の服装を
リメイクすることが出来ました。
これは「いぐすぺ南三陸」で活躍の上一枝さんが
揃えてくださった物です。
あと柳行李(薬を運ぶ際に入れるかご)が手に入れば、
この格好で、現在のお客様の元にも実際にお伺いしてみたいと思っています。
日本の文化を大切にしていきます!
これからも応援よろしくお願いします。
今日はこれまで!
最後までお付き合い下さり
ありがとうございました。
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私の著書(共著)「平成社長物語」
この本の売上はすべて社会貢献活動に寄付いたします!よろしくお願いします!!
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